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2006年03月31日
イリノイ州での寮生活
寮の食事メニュー? まず、朝は食べないから知りません(笑)
昼食や夕食は、マカロニチーズとかミートローフとか。丸いテーブルに8人坐って、大きな器に盛られたサラダやメインディシュを分けて。美味しかったですよ。そしてね、必ずデザートがつくの。パイとかフルーツとか、甘いものが好きだから嬉しかった。
さて、この女子大では最初社会学を学んだのですが、得意な分野ではないとわかり、適正な分野を見極める試験を受けたら「適職は数学者か歯医者」という結果に…数学は苦手だし、歯医者にも縁がない…そこで、私が生まれる前に他界した兄が医者だったことから医者をめざそうと思いました。
卒業後、フィラデルフィアの女子医大へ進学。そして1962年に卒業、31歳のときでした。
そうそう、朝食は今も食べませんが、食べていた時代もあるんですよ。インターンだった頃ね。なにしろ顔を洗うひまもないぐらい忙しい、お腹が空く、スタミナが必要でしょ。1日4食食べていました。それでも1年間で5㎏ぐらい痩せてしまいました。
投稿者 staff : 10:26
2006年03月30日
貧しい女子大生だった頃
久しぶりに私のことを書きましょう。
昭和29年、23歳のときに奨学生として、横浜港から船に乗りました。ホノルルを経由してサンフランシスコへ、11日間の船の旅。とうとう私はアメリカの地を踏んだのです。
私はイリノイ州の女子大で、社会学専攻で学び始めました。日本人は私の先輩に一人だけ。香港、韓国、ギリシヤ、フランスからも奨学生が来ていました。
学生全員が寮生活です。1年のときはルームメイトがいたのですが、2年は2段ベッドと2つの机がある部屋を独り占めでした。そこへフランス人の友人が毎晩勉強にしに来ていました。
今思えば、「空いてるからこちらの部屋へいらっしゃい」「こちらへ来たいわ」と言わなかったことがお互いによかったのかもしれません。彼女とは今でも深い交流が続いています。3年、4年と寮が変わり、そのたびにルームメートも変わりました。
お金? その女子大は奨学金がよかったから選んだぐらいで、日本を出発するときすべての貯金を継母に渡してきましたから、経済的には苦しかったはずですよ。というのは、あまり覚えていないの(笑)
でも、買いたい物はセールになるのを待って買っていました。これは今もそうです。私は昔から正価で買うのが馬鹿馬鹿しいと思っているらしくて必ずセールを狙って買い物するんです。おトク感がないと浪費感にさいなまれるという変なお金感を持っているんです。
投稿者 staff : 10:25
2006年03月28日
体感と実感(2)
たとえば空海の字(北斎の版画)は素晴らしい。しかし、魂を揺さぶられるような感動を覚える人は少ないでしょう。では、ゴッホは?ゴーギャンは?
好き嫌いに関わらず、何か感情面で動くものを感じるでしょう。
たとえで言えば、そんなような事です。
感動を感じると人間は自分が創った成果を感じ取りやすくなりますね。せっかく何かをやっても感動がなかったらなんのためだったの?…となりがちで、それだとやり甲斐がどちらにもないな~と思うからです。
いくら効能高い薬だと知っていても、自分がよくなったいると自覚できなかったら、飲みつづけるのは難しいのと同じ…。
投稿者 staff : 10:20
2006年03月27日
体験と実感(1)
最近、あるプログラムの流れが少し、物足りないといいましょうか、淀んでいる部分があるように感じます。もちろん、効果に疑いを抱いているわけではありません。物足りないのは、参加してくださった方が体験に値する実感がないのではないかと思うからです。
深く、無意識の部分に対して働きかけると、確かな「効果」がものの感じ方や行動のしかたにあっても、自分自身の意識の上ではあまり変化がないように感じられがちです。劇的な実感に欠けるといったら理解していただけるでしょうか。
魂を揺さぶられる感覚を意識の上ではっきりと実感すると、仮にプログラムを経験したあと、その感覚は後退し、効果も日常茶飯事の中に埋もれてしまって自覚できなくなった時にも「あのとき、確かに実感したのだから」と自分自身を勇みたたせることができやすくなります。
(続く)
2006年03月25日
私が苦手なこと(2)
続きです。
誰かと分かち合うことへの嫌悪。それは自分の人生に、愛が少なかったからだと思っています。私は、私自身のなかに愛が乏しい、ほとんどないように感じている面があります。
その理由はだいたい推測できます。私は生みの母からの愛を与えられなかった。愛された実感がなくて、いつも心のなかに愛への飢餓感があるのです。誰かと分け合う余裕なんかないのです。私は3歳で母を亡くしましたが、生きている間にも死んでからも母は私に愛を感じさせてくれなかったようです。
親と子は一緒に育っていくものだと思います。育つのは子供だけではありません。親もまた、親として、子育ての失敗や間違いを体験しながら育っていくのです。そして親子の関係も育っていくのだと思います。
でも、私の母は死んでしまって、彼女の時間はそこで止まっています。私が子として一緒に育ちたくてもいなかったのです。私と母との関係はよって大人の関係にはなりえませんでした。私が何歳になろうとも、私の母との関係は3歳児の関係に留まって来ました。
この頃やっとこの母でよし、これでよしと言えるようになりました。時としては愛と慈しみを持って自分にむかって母になってあげることもできるようになりましたし、自分のままでいいんだとも思える自分がちょっと、いるようになりました。分ち合うのがイヤ? OK。そのままでいいよ、とも。分ち合ってもいいことを分ち合えばいいだけじゃない!あっ、そうか~なんて言う調子で。
以前にも書きましたが、継母は私をたっぷりの愛情で包み込むようにして育ててくれました。それでも幼い頃に覚えた愛の足りない感覚は、今も私のなかにあるのです。これが試練の課題として問題を作り出したり、またとない学びのもとだったりして私の成長を促して来たようです。
投稿者 staff : 21:18
2006年03月24日
私が苦手なこと(1)
前回頭のなかがごちゃごちゃ、と書きましたね。そのなかには自分で気づいている自分のなかの問題点もあります。
一人の人の中にはいろいろな人たちのコミュニティーが存在していると言えますね。気前のいい面も、気前の悪い面も、親切、意地悪、優しい、厳しいなど、いろいろな面…。そして、自分が好きな面と嫌いな面とがありますよね。嫌いなのは知らないうちに直そうとしたり否定したりしてしまいます。それらがごちゃごちゃに、自分にもわからないくらいにあるのです。そしてこの自分でよしと言えるまで続くんです!
たとえば、私は、分かち合うことが苦手です、といえるくらいその面が大きいと思っています。そんな面があるのはよくないと思っています。でも、イヤなのです。物でも、お金でも。誰かと分けあう、共有するということに気が進みません。気前がよくないのです。二度の結婚がうまくいかなかった理由のひとつはこのこともあったように思います。下手なのだと申し訳がましく自分には言ってきましたが、このごろやっといやなのだと認めることが出来るようになりました。おかしなことに、外から見ている人はそんなこと前からわかっているよ、というかもしれませんが、本人には一大発見なのです。
幼い頃から、たとえば着物一枚でも人にあげるのはイヤでした。誰かにあげられるものでもあげない。あげられないのです。その反面自分にも不可思議なくらい気前のいいところもありました。このことは幼い頃から自分でも気づいていましたし、74歳になった今も解決していません。
(続く)

(私の居間の写真です)
投稿者 staff : 10:13
2006年03月23日
一生やらないであろうこと
それは掃除です……。
掃除は嫌いだけれど、整理収納は好きという人もいますね。その逆もいるでしょう。私は両方得意ではないです(笑) 家のなかで今一番整理されているのは……たぶん台所の棚のなかでしょう。もちろん、来客があるときはそれなりに片付けます。でも帰っていくとまたもとに戻る。この繰り返しです。
「頭のなかは整然と、すっきり整理されているのでしょう?」と訊かれることがあります。とんでもない!頭のなかはもっとごちゃごちゃです。いろいろなことがごちゃまぜになって混沌としています。たとえば、そうですね、お金のこととか、私的な人間関係とか…。

(私の机の上はこんな状態です)
投稿者 staff : 10:11
2006年03月22日
私を夢中にさせる男達
私には、ときに夢中になって、すべてのスケジュールがどこかへ行ってしまうことがあります。
それは池波正太郎や司馬遼太郎の小説を読み始めたとき。もともと歴史物が好きで、彼らの作品には私を惹き付けて時間を忘れさせる何かがあるようです。5カ月か6カ月に一度ぐらい。そんなときは、スケジュールを全部無視してしまいます。人との約束は守りますが…。病み付きという言葉どおりの状態になり、何しろ読み終わるまで止められなくなります。読み終わると夢から覚めた状態になり気がついてみると、日常のルーティーンが破滅していて規則正しい生活を始めるのに数日夢遊病者みたいにぼんやりと…ちょっと後悔しながら(でも後悔は何の役にも立ちません。またやります…)。
それからアメリカから来る友達が買ってきてくれたドラマのDVDなども、観始めるときりがなくなっていつまでもテレビの前に坐っています。感動したり泣いたり笑ったりはあまりしません。ただぼんやりしながらずーっと観ているのが好きです。軽い、面白い、考えなくてもいいのが好きです。ぼや―ッとして、疲れているかどうか気にしてないときですね、そんな時は。
そして、そのあとはまた数カ月ふだんの日常を過ごします。こんなこと出来るのって凄い贅沢だと思います。もちろん贅沢が出来ない学生の頃から時々やりましたので、後悔はいまよりもっと激しかったです。が、どうやら生き延びてくることができましたから、時々度を外すことは健康のもと?度を外す対象にもよりけりかな?
投稿者 staff : 21:06
2006年03月20日
からっぽの自分
朝、5時か6時には起きると書きましたら、寝る時間は?という質問をさっそくいただきました。
寝るのは午後10時か11時ごろです。10時就寝なら5時起床、11時就寝なら6時起床。私の睡眠時間はほぼ7時間というわけです。10年位前までは4時間か5時間で大丈夫でしたが、今は6時間か7時間必要です。年を重ねると寝る時間が少なくてすむと聞いていたのに!
たとえば昨夜もCDPが終わったのは午後10時。それから1時間後には寝息を立てています。私は職住接近で、会社と同じフロアに自宅があるからできることです。
わずか1時間で気持を切り換えてリラックスできるのはなぜ?と訊かれたことがあります。でも切り換える必要はないのです。プログラムをリードするときは、からっぽの自分が必要なのです。教えたり、啓蒙したりしない。水のような自分。ですから、プログラムの後は、からっぽの自分のまま、ベッドに入ります。
投稿者 staff : 10:35
2006年03月17日
朝の習慣
私の朝はこんなふうに始まります。
起きるのは午前5時か6時。
お手洗いに行って、水を一杯飲んだら、瞑想を始めます。1時間ほど。
それからストレッチをして、その後はタロットカードを引きます。その日を占うわけではなくて、今日はどういう自分として生きたらいいだろう?というヒントをもらうんです。
そして毎日読んでいるスピリチュアル系の本を10分間だけ読みます。今はデビッド・ホーキンスの本ですが、こういう本を読んで集中できるのは10分が限度かな。15分だと長過ぎるようです。
それからまた瞑想を1時間。
終わったらパソコンを立ち上げてメールをチェック。たいてい、そのまま続けて仕事に入ります。
朝食はいつ食べるのか、って? 私、朝食は食べないんですよ(笑)
投稿者 staff : 10:34
2006年03月16日
台所の蛇口はいつもピカピカ
ハウスキーピングについて話しましょうか。お料理は大好きです。でも、私の辞書に「掃除」という言葉は見あたりません(笑)
お掃除は苦手、というより正直言ってあまり興味がないのです。アメリカでも日本でもお掃除をしてくれるハウスキーパーにお任せの状態。学生時代?その頃はきちん掃除しなければならないほど広い家に住んでいませんでしたからね。四角い部屋を三角に掃くとか聞いたことがありますがあれ式で…。
でも、家のなかで一カ所だけこだわっているところがあります。台所の水道の蛇口です。シンク?それはどうでもいいのですが、蛇口だけはピカピカに光っていないとイヤなんです。
とはいっても、ステンレス用のパウダーを使って毎日磨いて……いるわけないでしょう? 洗い物をするとき、ついでに拭くだけ。私は食後すぐにすべてをきれいにして元通りにするタイプではなく、すぐ片付けるときもあれば、汚れた食器をいっぱいためこんでから洗うこともあります。
こだわりというほどのことではありませんね(笑)
投稿者 staff : 10:32
2006年03月15日
深刻になったら笑う
肩書きとか経歴とは?みたいな話になったときのことです。
「Namiさんの学歴とか肩書き、すごいですよね」と言われました。私の答えは、ここを読んでくださっているあなたなら多分想像がつくでしょう、「私は肩書きや経歴は忘れてしまっているんです。大学をいくつも卒業しているのだってやりたいことがあって勉強していたらそうなっただけ」。
(でもあるから忘れてしまえるのですよね。こだわってないのは確かですが、こだわってないと言うのもある意味失礼なことかも、とも思います。)
でも、人は往々にして肩書きや経歴に惑わされます。紙に書いた肩書きとともに、相手の話した内容、言葉に必要以上にとらわれてしまうこともあります。
私はプログラムの途中で「これは、いけないな」と思う瞬間があります。みんなが、私がそのとき話している内容を『教訓』として真面目に受け取りすぎているな、と感じるのです。そんなとき、私はわざと自分を笑うことにしています。深刻に受け取られすぎているなと思ったら、自分の失敗談をして笑うのです。
光と影、陽と陰、プラスとマイナス…何事にも両面があります。どちらかに偏らない方がよいようです。
投稿者 staff : 10:31
2006年03月14日
黒砂糖からもらった小さなヒント
先日沖縄の黒砂糖をいただきました。
黒砂糖って、昔からごつごつした石を砕いたような形で使いにくいイメージがありますが、今回のそれは違いました。
可愛らしい四角、カフェなどに置いてある小さな角砂糖ぐらいの大きさでしょうか、そのまま食べてもいいし、お茶かコーヒーに一粒入れるのにちょうどよい大きさです。これなら従来の黒砂糖と違って気軽に使えます。
そこで、ふと、思ったのです。
まったく同じものでも、ほんのちょっと形を変えただけで使い勝手が違って、よりたくさんの人に受け入れられる可能性がある。
ということは、私のプログラムも、同じかな、と。
どこか、何かを、ほんのちょっと変えればもっともっとたくさんの方に受け入れてもらえるのかもしれません。もちろん内容そのものを変えるのではなく、「こんなプログラムですよ~」とPRするときの説明の仕方とか、そういう意味です。
斬新な発想はほんのちょっとのことで全体を変えてしまうのですね。今更ながら驚きました。
以上が、私が黒砂糖からもらったヒントです。
投稿者 staff : 10:29
2006年03月13日
年齢(とし)だから?
私はトシを取った、とか、トシを取ると、とか言うのを極力避けています。
言葉は、ひとたび発すると、心が聞き取って本気にします。
すると体にすぐ影響が現れ出します。 そのため、年齢に関して自分を弱らせる信じ込みを創りたくないから、言わないのです。
トシに関する自分のためにならない信じ込みは、それに気がつくたびに、意図的にその信じ込みをすぐキャンセルする、と自分に言って、キャンセルします。必ず見逃さないで。「トシだから」と言う理由が出てくるとすぐやります。私の心はほとんど「トシだから」とは言いません。素直なんですね~。
投稿者 staff : 21:59
2006年03月10日
「Namiさんの幸せ子育て術」
今日はお知らせです。e-baby(イーベビー)自然流育児と暮らしのネットワークというサイトに私の子育てエッセイを連載中です。
目次のページから「Namiさんの幸せ子育て術」をお読みください。そしてぜひ感想をお知らせください。子供のいない方、興味のない方も、こんなサイトを見ると新たな発見があるかもしれませんよ。
投稿者 staff : 21:44
2006年03月08日
食事のたびに
私の一番古い友達の一人は大学時代のフランス人の友人…これは前にも書いたと思いますが、彼女のご両親がご健在で、私が最初にパリを訪れたとき心から嬉しくなった話です。
1960年代、アメリカではとっくの昔から食事のたびに使い捨ての紙ナプキンを使っていましたが、ヨーロッパではどこも布のナプキンでした。
毎日彼女の家でご馳走になっていて知ったのですが、内輪での食事用の布ナプキンは毎回取り替えないで、一週間に一度くらい取り替えるだけでした。食事が終わったら自分のナプキンは自分のナプキン用の布袋の中に次の食事までしまって置くのでした。
私には客として毎回新しい布ナプキンが用意されました。が、ある日彼女のお母さんが、「はい、これはナミのよ」と言って、ナプキンを入れる布袋を手渡してくれました。家族の一員に加えてもらった瞬間でした。あのときの何とも言いがたい喜び。親密さと嬉しさと感謝の気持ち、それらの感情が湧き上がってきて涙が出たことを今もよく覚えています。他人だと思って過ごしていた客が「これが毎日使うあなただけのお茶碗とお箸よ」と渡されたようなものです。
今でも自分のナプキンは布袋にしまって、一週間に一度くらい新しく洗ったのと取り替えます。(顔の方はも少し頻繁に洗います)。

追伸 以前こんなことを書いたら皆さんからの反響が大きくて驚いています。「顔って毎日洗わなくて大丈夫なんですか!?」って(笑)子供のときから当たり前だと思い込んできた常識をちょっと疑ってみるのも面白いかも。
投稿者 staff : 12:54
2006年03月06日
年齢って、よく、わからない…
先日、アクアリアスⅡの講座を行いました。
集まったのは十五歳から七十歳までの女性たち、十六名です。
知らない人たちの前で自分のことを話すのはなかなか勇気がいることですが、
みなさん、真面目に、真剣に取り組んでくださって素晴らしい一日でした。
そんな話をある人にしたら、
「七十歳?ナミさんと同じ世代ですね。いかがでしたか?」と訊かれました。
言われてみれば私は七十四歳ですから、たしかに同世代です。
十五歳なら孫といってもおかしくない年齢です。
私にとって年齢はたいした問題ではないようです。
以前にも書いたように、若い人に会っても「私より身体が若いな」と思うぐらい。
同じように、たとえ同世代の人に会っても「あら、同じ時代に生まれたのね」。
十五歳でも七十歳でも少しでも幸せに生きるにはどうしたらいいか、
真剣に考えている点においては同じです。
トシをとれば自動的に悟りが開けて、悩みがなくなるかといえばそんなことはありません。
七十四歳の私が間違いなく言えるのは、人間として生きていく限り生涯さまざまな問題が
起こりますよ、ということだけです(笑)
でも、それだからこそ、少しでも気楽に生きられるように各種のセミナーを行っているわけです。
2006年03月04日
初冬の頃、銚子へ行ってみました
東京近辺の湧き水に興味があり、去年、千葉県銚子市犬吠にある大山名尊様に行って来ました。お不動様の化身を祭る社で土地の人も知る人が少なくなった所のようでした。
池があります。小幡池。この水源が名尊様の湧き水で、小幡川を経て名洗地の太平洋に注ぐのだそうです。西側の森に冷たい透明な多量の湧き水のある神社がありました。物置のような小さい四角い、中が薄暗い建物の奥にしめ縄をはった明るい小さな長方形の深い入り口がありました。山と森のご神体に繋がるあき口のようでした。
水の出てくるところは深い四角の孔の底辺で、そこから地下に入って、水はまた一段と低い地に出て来ていました。水は今は灰色のプラスティックの管から出ていますが、その横に口を開いた石の龍があって、その上部にお不動様の姿を彫った石がありました。ちょっと目黒不動の水場のような感じでした。(本当はこの社が不動だと知らないで、龍の上の姿もそれと知らないで、どうも造りが目黒不動の原型があると思ったのです。今これを書くのに資料をもう一度見て、ああ、なるほど...と感に入っているわけです)
たくさんの水が勢いよく出ていました。誰もいない風の強い初冬の午後、日差しの鈍くなって来ている森に一人でいて、神のプレゼンス(現存)に恐れるとはこんな感じかと感じながらお参りして、水を戴いて来ました。清涼な水ですが、山の上に民家があったので、念のために沸騰させました。美味しい水のようです。
そうそう、バスを降りてから池まで行くちょっとした下り坂で砂利道に滑って尻餅を付き、水場でステップをミスして一回転の舞(笑) でも、怪我もせず無事帰ってまいりました! 私はそそっかしいのです。
投稿者 staff : 20:49
2006年03月02日
子育てに関わろうとしない夫には…
昨日の続きです。
4.お願いしても夫が「出来ない」と言ったら切り札を出しましょう。「それでは、最悪の場合、貴方が定年を迎える頃には、子供もいない、憩いの家もない人になる危険があるけれど、それでもいいか?」と言ってみます。この切り札を出しても駄目なら、それ以上言わないで黙ること。でも、切り札を出したら夫の方は口では認めなくても奥さんのほうが会話に招待するように続けたら、こっそり加わって来るかもしれません。そのとき、「ほ~ら!」なんて言わないことです。
なお、仲が親密でないところに切り札をだすと関係は悪化する一方になります。
「小さな会話」と、「切り札」の中間の位置で、夫であり父である彼が現代の子供や子育てにどれほど大切な存在か、彼が納得できるように話す。妻が夫を大切にしながら、夫も大切にされてるな~と思えるようにしながら、話すことが大事だと思います。
家で大切にされてないと感じていたり、会社で必要以上に家族があるからこそ仕事をさせられていると思っていたりすると、家で気前よく自分を提供出来ないのかもしれませんね。
投稿者 staff : 20:51
2006年03月01日
「夫が子育てに関わってくれません」
私の子育てセミナーにいらした方からの質問です。
――ずっと前から夫は仕事以外関心がなく、子供のことについて相談しようとしても「子育てはおまえに任せている」と言うきり、話し合いの場に応じてくれません。 どうしたら、夫を、話の同じ舞台にあげられるでしょうか。よい方法がありましたら教えてください。
そこで、私の答えです。
1.まず、妻がどんなあり方をしていると夫がこうなるのかちょっと考えてみる。自分も夫が同じ土俵に上がってくれないことの原因をつくっていないかどうか。
2.二人の間で会話がなかったら、毎日小さい会話を創ることから始める。「お帰りなさい」「元気?」「今日、会社はどうだった?」とか。徐々にちょっとしたことの相談を始める。そして愚痴は絶対に言わないこと。夫を誉め、感謝すること。けっして結果を急がないこと。
3.少しずつ二人の間で会話ができるようになったら、または、すでに会話があるなら子育ては任す、任されますと話したことがあるのかもしれません。または暗黙の了解だったかもしれませんが、時代が変わってきて、あなたの協力なしで私一人で育てるわけにはいかなくなったので、協力して欲しいとお願いする。
(続く)
投稿者 staff : 20:50