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私が苦手なこと(2)
続きです。
誰かと分かち合うことへの嫌悪。それは自分の人生に、愛が少なかったからだと思っています。私は、私自身のなかに愛が乏しい、ほとんどないように感じている面があります。
その理由はだいたい推測できます。私は生みの母からの愛を与えられなかった。愛された実感がなくて、いつも心のなかに愛への飢餓感があるのです。誰かと分け合う余裕なんかないのです。私は3歳で母を亡くしましたが、生きている間にも死んでからも母は私に愛を感じさせてくれなかったようです。
親と子は一緒に育っていくものだと思います。育つのは子供だけではありません。親もまた、親として、子育ての失敗や間違いを体験しながら育っていくのです。そして親子の関係も育っていくのだと思います。
でも、私の母は死んでしまって、彼女の時間はそこで止まっています。私が子として一緒に育ちたくてもいなかったのです。私と母との関係はよって大人の関係にはなりえませんでした。私が何歳になろうとも、私の母との関係は3歳児の関係に留まって来ました。
この頃やっとこの母でよし、これでよしと言えるようになりました。時としては愛と慈しみを持って自分にむかって母になってあげることもできるようになりましたし、自分のままでいいんだとも思える自分がちょっと、いるようになりました。分ち合うのがイヤ? OK。そのままでいいよ、とも。分ち合ってもいいことを分ち合えばいいだけじゃない!あっ、そうか~なんて言う調子で。
以前にも書きましたが、継母は私をたっぷりの愛情で包み込むようにして育ててくれました。それでも幼い頃に覚えた愛の足りない感覚は、今も私のなかにあるのです。これが試練の課題として問題を作り出したり、またとない学びのもとだったりして私の成長を促して来たようです。
2006年03月25日 21:18
