« 2008年03月 | メイン | 2008年05月 »

2008年04月29日

そらまめの季節になりました

そらまめの季節になりました。そらまめはマイクロファイバーの毛布に包まれてぬくぬくと育っているようです。白に近いうす緑の軟らかいファイバーのなかで。私はマイクロファイバーの薄抹茶いろのシーツに挟まれて寝ています。この時期はそらまめになった気分です。明日はそらまめとペコリノとリコタチーズのソースでパスタの前菜を作ろうと思っています。春にしかいただけない、秋にしか、といった季節ものは嬉しくなりますね。

投稿者 staff : 21:16

2008年04月27日

今年も桜を

今年も桜を見ることができた!…と。毎年の出来事が来年も来る、と当たり前に出来ない人生の段階になりました。今のところ、やる気いっぱいですが、体がついてきてくれないのです。代替医療に興味ある医者には自分を俎板に載せていろいろ試してみるいい機会かもしれませんが。

さて、今年も桜をみて思ったことは、何と底力がある、凄い木なのかと言うことです。桜が咲く前後の季節ほど不規則で不安定な季節はないのではないかなと思います。寒すぎたり、あったかすぎたり、風が凄かったり、雨ばかり降ったり、満開の時大雪が降ったり。それにもめげずちゃんとあたりを花あかりで照らしだす花が豊饒に出現する……それはとてつもない強靭さだと思います。桜が大和魂の象徴なのはいさぎよく咲いて散るだけにあらず、と思います。咲くまでのことかも、と。

投稿者 staff : 20:59

2008年04月25日

神田で1年

神田にオフィスを移して一年ちょっとになります。神田明神に「神田にまいりましたのでよろしくお願いします」とお参りに行ってから一年経ちました。

今日「一年間ありがとうございました。無事まだいます。今年もよろしくおねがいします」とお参りに行ってきました。スタッフと一緒に神田明神にお参りし、その後、山の上ホテルで天ぷらを食べるのが年中行事になりつつあります。

若々しい緑の葉におおわれたホースチェスナッツ(馬栗)の木々に淡いピンクの花が点々と見え隠れするホテルに行く坂道を、初夏だなと思いながら、曇っていることも小寒いことも意にとめず歩きました。

神田明神でも湯島天神でも綿帽子をかぶったお嫁さんに会ったのを思い出して、結婚関係も仕事関係も、日々の営みも安らぎと豊饒さをもたらしますように、と願いながら。


2008_04260026山の上ホテル.jpg

投稿者 staff : 22:54

2008年04月23日

生きていく工夫―うちのバジル

自然の環境ではなく、家の中に住んでいるとハーブもちょっとおかしくなるのでしょうか?

うちのバジルは越冬をしたバジルで今になって花をつけました。茎は、ハーブというよりも半ば木のようです。小さな姿ですが、窓越しに大空に照らすと、大木の感じがしないでもない、これまたちょっとおかしなことですね。
生きている、命ある存在は何とか環境に順応して生存していくのが凄いですね。人間も不思議な工夫をして生存していきますね。そのことをそのうち書きたいとバジルのけなげさをみて思いました。

投稿者 staff : 00:39

2008年04月20日

パーペトレーション・続き

会社で、家庭で、学校で、先生と生徒間で、また友人間で、相手の「せい」にするもとが自分のパーペトレーションにあることをほとんどの人たちは知らずに生活していると言ってもいいでしょう。相手が自分に何か望ましくないことをやっていると思ったら、そのとおりのことを自分がやったのでそう思うのだというのが、パーペトレーションのメカニズムです。

これは無意識の分野で行われていることです。ですから、会社や家庭やその他を、清々しく楽でいいところにしたい人は、まず人をなじっていることに気がつき、自分はこの人にどんな悪いこと(事実悪いことではないかもしれないのに、自分が悪いこととしてしまっているわけです)を、いつやったのか問う意識と勇気が必要なだけです。
わかったら謝るか、自分を許すことでOKですね。身近な人だったら謝った方が人間関係は親密度がますでしょうね。

もう少し説明してみましょう。
わざわざ離婚して関係を断った人と、心では断てないで、怒りや、憎しみや、恨みや、後悔で連綿とつながっていることを、私は十数年間も継続してきました。
一人だけのつながりでは腹いせならず、ときには多数の人を巻き込んだりしました。そして苦しみました。
そんなふうに生きている人としばしば会います。実際悪かったかどうかは関係なく、ご本人が何か悪いと解釈していることをした、と思っているのです。
私は愛なしの結婚は邪悪と思いながらも、彼と愛なく結婚し、それを言うのを恐れ、でも言わなければ、言いたい、といつも思って一緒に暮らしていました。ひどい話で、書くだけで身がよじれるようにいまだに感じますので、まだ自分を許す作業が必要なようです。

「はい、恥ずかしくて認められませんし、認めたくありませんが、私は愛してない人とそれではいけないと思いながら都合のために結婚しました。それを言わなきゃと思いながら相手を騙して生きていました」と、少なくとも自分がしたことを自分が認めることが責任をとるということだと思います。

そして、責任をとることは彼がこうだったから、こうしなかったから、自分がこうだったから、そうせざるを得なかったから、と一生懸命いかに自分の「せい」ではないと言い訳する必要を取り去ることです。
さっぱりした、力強い、責任をとる前とは違う毎日を可能にしてくれます。私は地獄に生きた自分だったといいましたが、それも、やったのは私ですという立場をとる代わりの間に合わせですね。責任をとる代わりに苦しんでいたのです。
そして苦しみたくないと、訴え嘆き、変えようと必死の努力をしてまわりの同情をあつめ、こっそり快楽は今日も続く…苦しいだけです。

どんなに苦しみを続けても、自分の「せい」だと自分をなじっても、苦しいだけです。理由はどうであれ、終局的に行動したのは私です。その自分を許すなり、やりましたと責任をとるなりして締めくくってみることが出来ます。

投稿者 staff : 22:16

2008年04月18日

こっそり快楽とパーペトレーション

「こっそり快楽」は、こっそりであるからこそ根強くはびこり、苦難が快楽そのものだとは本人にはわからず抜け出そうともがく、それがまた苦難のもと……たいした仕組みです。

「止めよっ!」と思い、考え、そして止める。動あるのみ。それが出来ない場合は何度でも許しの作業をいとわない。これも動あるのみ、ですね。

そして、もうひとつ、「パーペトレーション」について。

これは、どんな小さなことでも何か自分が良くないと思うことを人にしたとき(それが実際にやったことなのか、やるべきと思っているのにやらなかったことでもどちらでもいいのですが)、自分はその人に辛くあたったり、嫌いになったり、懸念をもったり、恨んだり、批判したり、非難したり、自分の好ましくない行動の理由にしたりすることを言います。

たとえば私の身近な人に、おもてなしなどに関してはとても気前にいい人が、私に人を紹介することになると、とたんにケチになる…そんな感じの人がいました。
だいぶ親しくなってからあるとき、「人のことになるとあなたはケチになると感じるのだけけれど」と言いました。すると、「Namiさんに紹介すると盗られてしまうから」と返答が帰ってきました。
私には盗る、盗らないという感覚はなかったので、彼にはそう見えるんだ…と思い、「私から何を盗ったと思っているのですか?」と訊いてみました。いろいろ考えたあげく、後ろめたいことを話してくれました。
そして「今まで何処ででもそうして来た」と。彼の自覚度の高さと真実を認識する意志の固さによって、彼の「我(エゴ)」には危険なこんな会話を可能にしました。彼は私にその場で謝り、私は許し、彼も自分を許し、その後、告白するわけではないが、いろいろな人とそれとなく、認めるような会話をしたそうです。気持ちが軽くなり、生きることが以前より楽で楽しくなったと言っています。パーペトレーションとそれを清掃した時の実例です。(続く)

投稿者 staff : 11:02

2008年04月15日

夢に出てきたデザインの

何かつけなくてはと思いつつ、3年も梁の下に頭を置いて寝ていました。一月にボストンで友人ミシェルに大きな大きな布屋さん(しかもカーテンやソファ用の布ばかり)に連れて行ってもらった時、梁の下に置きたいキャノピーにちょうどの布を見つけました。

このキャノピーは夢に出てきたデザインなのです。お友達がやっとの思いで仕上げてくださって、昨日吊るしました。昨夜は安心と安らぎで寝ました。家にいるときは頻繁に、いいな~と、ベッドルームの入り口に立っては眺めています。

2008_04120096天蓋.jpg

投稿者 staff : 23:16

2008年04月13日

カリフラワーの演出

カリフラワーは実にいろいろな形や色を演出できるのですね。ローマで仏様の頭の髪の毛のように小花が渦を巻いた薄緑のを見て驚きましたが、ボストンではいろんな色のをみました。珍しいものなのか、アメリカらしくもなく一つ一つがプラスティックに包まれていました。

あちこちにいろいろ驚くことがたくさんあって、「やぁ~、知らなかったぁ~~~」と思うことは自分のこと、人のこと、歴史のこと、土地のことだけではないですね。

最近「知らなかったぁ~」という題でノートブックを作り、デスクトップにのせました。知らなかったぁと驚くことを少し書き付けておくことにしたのです。

2008_01250143カリフラワー.jpg

投稿者 staff : 20:33

2008年04月10日

こっそり快楽

憂鬱な気分になるのが先なのか、恨んでいる人や物事をふっと考えたり、思い起こすことが先なのか、わかりませんが(多分後者の方でしょうね)何しろ嫌な、鬱な気分になるのを何とかしたいと抵抗して……長い間もがいているうちに、相手を恨むことで自分が得る、そして、相手から受けた傷を舐め続けることで得る、あの「痛気持ちのいい」自己憐憫。うらめしや~と感じる「こっそり快楽」が、いや~な鬱気分と一緒にあること、そして、それらが自分に苦労や嘆きを続けさせているのだと気づきました。

相手を許し、自分を許したら、清々した明るい毎日を送れる――そんな自分がすぐ、自然に、再生して来るのを感じましたし、その後何回も感じています。それでも、またもや「こっそり快楽」に自然とはまってしまう、歩きなれた道を歩き出してしまう自分がいることにも気づきました。

そんな自分は、種をまいたら苗を周囲から守り独り立ちが出来るまで育てないと実るまでに至らないと同じように、「こっそり快楽」にはまるたびに、その自分を愛し、「こっそり快楽」から引き離す作業が必要だということを知りました。

辛抱強く鬱に浸る自分を、辛抱強く何回でも、はまっていると認識するごとに、許す作業を繰り返すうちに、特定な人やことへの恨み、嘆き、鬱にはまることはなくなり、他のことでもそんなに真剣に鬱にはまらなくてよくなってきました。清々した時が多くなってきました。

投稿者 staff : 22:41

2008年04月08日

春の喜び

春の色の一つはお豆の浅緑色ですね。浅緑のそら豆の味のお菓子、お豆の味のお菓子、大豆のかたちをしたお菓子、「春爛漫」が緑の色とりどりにもあふれています。
それに、いただいたスミレの鉢から一輪、我が家のパセリの鉢から一本……もう爛漫以上の楽しみになりました。小さな喜びが室内のあちこちに何気なく春を教えてくれています。

2008_03160158空豆のお菓子.jpg

投稿者 staff : 20:30

2008年04月05日

驚きの連続

少し前のことになりますが、橋本というところへ行きました。京王線の橋本とJR線の橋本とは全然違うのも驚きでしたが、それを確かめもせず、新宿駅で京王線と京王新線の違いもわからず、電車に乗り遅れたのも驚きでした。

でも、素晴らしい人たちが話を聞いてくださいました。校長先生、教頭先生などの男性がほとんどでしたが楽しく参加してくださったので、間違えながら行った甲斐がありました。そして目が覚めるような美しい色と香りのある花束をプレゼントしいただいたのもうれしい驚きでした。

2008_03060125橋本でもらった花束.jpg

投稿者 staff : 20:21

2008年04月01日

山とか丘とか岩とか

この頃、よく今まで行ったことがない東京近辺に電車で行く機会があります。秩父の山から冷たい風が吹いてくるとか、秩父の山並みがなんとか、などと秩父連山と呼ばれる山塊を東京のかなたの空を見るたびに思い、一度行ってみたいと思っていました。

しばらく前に行く機会があり、長い間電車に乗り、峡谷を山腹を走って遥かに見下ろし、峡谷が開いて盆地になっているところにある秩父に到着しました。

一番驚いたのは上がピラミッドのようになっている大きな山です。アメリカではこういうのはヒル(Hill)と呼びます。山はロッキーほどもあるものが山です。
余談はさておき、その山は上のほうが段々になっていて、しかも山襞が上のほうで同じくらいのレベルでちょん切られているためなんとも奇怪な山になっていました。段々や薙ぎとられてしまった山襞の天辺を雪の白さが強調して、ちょっと恐ろしくなるような山でした。

コンクリートを作るために山を切り取ったのだそうですが、壮大なスケールの仕事だったのでしょう。痕跡は壮大です。インドのケララ州でも山から岩を取ってしまい、この場合は山が大きな穴になり水が溜まっていたのを幾つか見ました。人間て偉大な、変なことしますよね~

投稿者 staff : 22:26