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2008年07月29日
自分のこと、自分の人生、そして責任をとるということ。その3
(続き)原型は心の支えがなく、よりどころがなく、一生応援がない人生を歩く孤独さや、精神的試練の中に持って生まれたエネルギーが発揮できると書いてある。勘所が鋭く、20年以上四柱推命学を仕事としてきた友人は、私の原型は浮き草のように生きること、といった。
どれも全くぴったり。父母は私が生まれてから結婚届を出している(おろそうとしたのかも知れない)。安定した尊敬と同意がゆるぎない医者という職業をやめた。結婚して落ち着くとなんだかイライラし内面が暴れだして喧嘩、不和になり離婚してまた漂い、住まいはしばしば移り、親戚とは薄縁で行き来していない。天蓋の孤児で、誰も頼る人はいない。よりどころがない。出来るようになると鬱陶しくなって、一人でいることを好む。
頼る人がいない心細さ、恐ろしさをどうにかしようと葛藤し、パートナーを探し、いないことを嘆く。母が愛してくれなかったからとか両親を早く亡くしたからとか、戦中戦後で不安定な青春期を過ごしたからとか、犠牲者としての説明をしながら何とか現状を変えようともがいて生きてきた。
だが、これこそが自分が選んだ原型だ。人生だ。
生まれてくるはずではなかったことも、そこから来る人格の特徴も、誰も頼る人はない孤独であることも、精神的格闘、試練、欝、転機が頻繁にやってくる苦しい人生であることも、愛を分かち合うこともない寂しさも、とうとう受け入れることが出来るようになった!変えようと格闘しなくなった。自分を愛せるようになった。本当の愛は自己愛から始まると思う。この話はまたいつか。
投稿者 staff : 22:30
2008年07月26日
自分のこと、自分の人生、そして責任をとるということ。その2
(続き)その人間として固体化する前の”自分”を、今回は地上に具現して、こういう目的で、こういうことを学び、全うしようと生命と契約を結んで生まれてくるとしてみよう。
そして、その目的や使命を果たすためにはこんな人物であることがふさわしいとして、そんな原型を、誕生年月日を選ぶことで選び、その原型を現像するのに最適な両親を選んで生まれてくるのではないだろうか。昨今こんなことを思うようになった。
全部、最初から自分が何もかも選択して始めているのだ。そして、それを全く忘れてしまい、あたかも偶然生まれた誕生日で、親や環境が自分を不幸にしたり幸福にしたりしている、と犠牲者になりきって喜んだり、悲しんだり、苦労したりしているのでははないか、と…。
生まれてくる時や場所や環境さえも、すべてを自分が選んでいると立場が取れたら、それは自分の性格、生命、人生すべてに責任を取ることになる。
これほど自由に存在できる方法は他にはないだろう。
そんな観点から私という性格の原型を天中殺算命学の本で見つけた。(続く)
投稿者 staff : 16:15
2008年07月23日
自分のこと、自分の人生、そして責任をとるということ。その1
責任は自に由る、自由、と言うことなので、責任のサイズが大きければ大きいほど、自分である自由があること。ということは苦労や嘆きが少ないということ。
最近、友人から「あなたは一生よりどころなく愛を見つけることなく生きることになってるのよ」といわれた。
そこでこんなふうに責任を取ってみようと思った。
算命学、四柱推命学、天中殺算命学、気学、占星術…などなどをみてみると、自分のことがわりとよく当たっているし、ああそうだったのか、それであんなことが起きたんだ、などとふり返って、今までなかった理解を深めることもできる。
同じ日に生まれた人は沢山いる。だから大まかなところで同じ人が世界中沢山いることになる。もちろん場所が違うから全然違うということもあるだろうけれど。
ユングは典型的な人間型を「原型」とネーミングしている。原型は体験によって現像される人間潜在パターンのようなもの。
「原型」は誕生年月日と時間、場所できまっていて、その日生まれて来たら必然的に自分がなる「人」はその形のひとであるようだ。
人は性格、感情、思い、体といった個人的なメンタル体、感情体、物体だけの存在ではなく、それらのもとになるスピリチュアル体が元来の姿であるとされている。(続く)
投稿者 staff : 16:11
2008年07月21日
高原花豆、その後
再び見つけました! あの高原花豆を!
ただし甘納豆風になったものを、です。天栄村という福島県の清らかな林の中の村で見つけました。大きい黒紫色の甘納豆は、やっぱり高原花豆とネーミングされています。裏のお品書きには大黒花豆とも。味は? 甘納豆ですから、やっぱり甘い。本来の味は、自分で煮て味見するよりないですね。いったいこの豆、なにもの?ということに関しては、大黒花豆もウィキペディアをはじめ、インターネットでは調べられませんでした。ムラサキハナマメではないかといってくださる人もありますが、それも調べることができないままです。私にとってこの豆はなぞなぞ豆です。

投稿者 staff : 14:05
2008年07月18日
別れの決意
先日、ある人からこんなメールが届きました。
――長い間既婚者の男性に恋をして、やっとふんぎりをつけて別れた。けれど、毎日が苦しい…いつの頃からか愛されてないという不安に駆られる毎日をおくってきた。みずから連絡を絶った今、これでよかったと思うようにしているけれど、やはり不安で仕方ない。
ふんぎりをつけようと思い、その通りにしたのは素晴らしいことです。
次の恋人がいたり、相手に愛想をつかして、別れるのはたやすいことです。しかし、それがなくて、別れるのはつらいことです。つらさは思いや考えの中だけのことなのに、まるで毎日の生活、現実の世界でも何かが起きているように思えますね。何か、もう一度相手に連絡をとってみたくなったりもしますね。自分の中の執着心が暴れ出すわけですね。
結婚している人たちの中には、こうした困難を味わうよりも「腐れ縁だと思って」と家庭内離婚とやらをする人たちもいます。腐れ縁にはうんざりしていても、執着心が騒ぐのを体験しなくてもいいからです。
この人が今通っているところは、じっと味わっていると通過できるところです。楽になりたいのは山々ですが、その努力が逆に苦難を長引かせていきます。苦難から何を学べばいいのか、苦難を観察して味わって発見してみましょう。
新しい未来のために今苦しむとわかっていてもあえて別れる勇気をもった彼女に拍手を。
投稿者 staff : 12:36
2008年07月15日
暑い季節に寒いボストン日記を…
私は今10日間のプログラムで京都に滞在中です。
暑い季節をみなさんが少しでも涼しく過ごせますように、去年のボストン日記をご紹介しましょう。
*****
暮れのボストンは、毎日まいにち曇った霧が立ち込めた肌寒い日が続いていました。
明日は大晦日、という日。
日本はおおわらわの31日が始まったところでしょうか。
この田舎では世界が転覆していてもわかりません。

投稿者 staff : 05:16
2008年07月12日
トマトと腎臓
曲がったりくねったりした野菜をみると、生えている様子が思い浮かび、畑から直接来た!という感じが大いにします。そんなゆがんだ、いびつなトマトの中から曲がったようなのを選んで買ってよくよく眺めていたら、これ腎臓の形!です。
大きさも実物大。世界腎臓移植の先端を切っていたハーバードの病院で透析/移植前後のケアを夢中でやっていた時を、武蔵小山で買ったトマトで思い出しました。やっぱりあれも人との関係のことだったんです。
外科医と内科医と看護チームと一体になったり、いがみ合ったり、協力したり、人の命の為に関わりあいました。いろんな喜びや悲痛な場面や激動の移植期で、患者たちも素晴らしく勇気のある若者たちでした。

投稿者 staff : 22:10
2008年07月09日
急須のこと
小学校1年生、家にある私のお気に入りの急須を絵に描いて一重桜の丸をもらった時、いつも八重桜なのに何で、と父に訴えました。
父は何が変か見てみろと言いましたが、私には格好いい急須しか見えませんでした。父が注ぎ口が急須の体の下のほうに付けてあるので、この急須は急須の役には立たないだろう?と言いました。
は~~ん、そんな道理が!と小さな頭はそのことを深く刻み付けたようです。急須の絵が、特に注ぎ口の格好が、いまだに父の声と共に、鮮明に浮かびます。
投稿者 staff : 22:06
2008年07月07日
「おろす」
この言葉は、たとえば三枚おろしとか、魚もおろし方次第で、美味しいところも無駄になるとか、食べ物について使いますね。
もしかしたら、日々の出来事も「おろし方次第」で楽しいことだったり苦しいことになったり、人の親切が嫌味に聞こえたり……するかもしれませんね。あなたも出来事を、美味しく楽しくおろしてみてください。
投稿者 staff : 19:03
2008年07月01日
石畳を歩いて
毎月一度は京都の禅寺にお伺いしています。いつの季節にも、寒くても暑くても、掃き清めらている石畳を歩いて行きます。背骨が伸びるというか、ピリッと来るというか…冬のある日、その石畳に落ちた椿が静けさを増していました。
ちょうどNPOでお母さんたちと『価値」について講座を始めた頃、こちらの老師だったら「どんな『価値』をお選びになりますか?11個ぐらいあげてみてください」とお訊きしました。
すると、えらくぴしゃっと、「11もいらない、1つでいい。『動』だ」とおっしゃいました。他は理屈っぽくなると…。
私は予期しなかったお返事にショック状態、『動』でどうやって一年分のプログラムつくるのよ、私の質問をわかってなかったのか…とかいろいろ騒音が頭の中でめまぐるしかったのですが、ひとつの考えとして受けとめてみよう、『動』をもとにしてここから『価値』に関してお母さんたちが力づけられ、子供が『価値』を身につけられるように子供をコーチするには…と探索してみようと、謙虚な自分になって再び石畳を歩いて帰路につきました。
投稿者 staff : 21:58