エゴは身体をも犠牲にする
エゴは生存本能ともいえます。しかし、一般にいわれるような身体の安全を確保する「生存本能」とはちがいます。エゴ、それ自体が生存するための本能、です。エゴは身体を犠牲にしても生き残ろうとするのです(!)
この場合、生き残るということは、エゴ(自分の観点)が、1.正しいこと、その他は全部悪いか間違っている、ということ、 2.何もかも支配して、他から支配されないこと、3.勝つこと、負けないこと、などです。
たとえばあなたが自殺を考えたとします。こんなにつらい思いをしたから、人生に絶望したから、こんな私は生きている価値がないから…などいろいろな理由があると思います。その理由はすべて、エゴが正しい、との主張だと思ってみてください。
自分を殺すことで「復讐」しようとしたり、誰も助けてくれなかったと主張したり、人生はこんなにむずかしいのだと訴えていませんか?「自分はこんなにつらい思いをした(あなたたちのせいで)」「自分は人生に絶望した(あなたたちのせいで)」「私は生きている価値がないと思うようになった(あなたたちのせいで)」こんなふうにしていませんか?
目先の絶望に浸ることは自分(=エゴ)を正当化するためではありませんか?
エゴは「自分が間違っていた」とは言いません。みずからの正当性を主張するために、または間違っていたことに意義を持たせるために、身体を、命をさえも犠牲にしようとするのです。
エゴがなかったら私たちは生きていけません。けれども、エゴに自分を乗っ取られると、逆に命をなくすこともあるのです。少なくとも幸福感、健康感、悦びや、いい人間関係などは犠牲になります。
2009年04月23日 19:55
